久々の「初めて」シリーズ。
これだけは、あまり経験したくなかった「初めて」。 何かというと…。 ぎっくり腰です。 先日。ついに生まれて初めてのぎっくり腰を経験いたしました! これだけ肩こりで体が硬いのにもかかわらず、ぎっくり腰も○○肩もしたことがないのが自慢だったのに…(たいした自慢ではないかも) う~。残念ですっ。 しかし、なった場所が、ラッキーでした。 今まさに診察を受けようとする、鍼灸院の待合室。 名前を呼ばれて、立ち上がる、まさにその時。 ぐきっつ!!! となったのであります。 ど~だ。すごいでしょう。 ってこれも自慢できるものではないですね。 ひと月前くらいからヘンだったんです。 体のクセみたいなもので、いつも右側の肩や腰がよく凝るのですが、とくにこのひと月くらいは、かがむと右腰に太くて硬い筋を感じで、そろそろ鍼でほぐしてもらわなくっちゃ。と思っていたところでした。 それに加えて、先月末、取材で富士山の樹海を雨の中、サイズのあわない長靴を(借りものなのでがばがばで)履いて半日歩いたり、その折、丸3日、車にゆられたり…鍼の先生いわく、こういう積み重ねがいけなかったらしいのですが…。 私の診断としては、きっと最後の引き金はわが飼い猫すみくろだと思うのです。 なぜって、その前の夜、座椅子にもたれてついついうたた寝した私。 2時間ほどして目をさますと、黒い物体がひざにどええ~~んと乗っているではありませんか。かなり腰に負担をかけた状態で固まっていたものと思われます。なんたって、4キロ以上ですからね。すみくろの体重。 右側だけのぎっくり腰で、なおかつ即治療していただいたので、よくある悲惨な「う…うごけませ~ん」ということにはなりませんでしたが、 壁につかまり、腰を落としてゆるゆる動く、不自由な生活。 「2~3日は安静に」という先生の言葉もむなしく、新幹線に乗って移動したり、両手に鞄とパソコン持って歩いたりだの、悪いことばっかしてるので、一向によくなりません。 しょうがないわね、と「骨盤バンド」なるものを推薦していただき、薬局で購入、腰にぐいっとはめております。 いや~。なかなかすぐれもの。ちょいと苦しいですが、「ぐきっ」の脅威からは開放されました。 当分不自由な生活と、置き鍼と骨盤バンドの生活は続きそう。 腰が動かないってこんなに大変だとは思いませんでした~。トホホ。 ところで、この話を聞いた友人に「鍼医者でぎっくり腰になるなんてさすが」と妙なところで感心されました。 実は昨年母が倒れまして。その場所がなんと消防署の目の前。その事情を知っているので、 「おたくの母子はなんという危機察知能力を持っているのか。すごい家系かも」と、 真剣に驚いてくれました。 これ…自慢になるかな…。ならないかな…。やっぱり。 ど~いうわけか、いろいろありまして。
昨年から病院にこんなに通ったのは人生で初めてかも。 実は、この春から医療番組に携わってます。 「総合診療医 ドクターG」NHK BShi で 毎週月曜日 21:30~21:59 放送してます! 司会は浅草キッドさん実際の症例から再構成したドラマをもとに、研修医と総合診療のスペシャリストの先生が、スタジオで患者さんの病気を検証する討論を繰り広げる医療エンターテインメントです。 総合診療というのは、人間を臓器ごとに診るのではなく、総合的に(ドクターGのGは、GeneralのGです)診断するお医者さんのことで、各専門医を「横にむすぶ専門医」のような存在。 考えてみれば、こどものころ、診てもらっていた町のお医者さんはそうでした。 風邪をひくと、おなかをこわしやすい体質なんだ、とか、この子は腕白だ、とか今、目の前の病気だけじゃなく、さまざまな背景を考慮して、病気の治療にあたってくださっていたような気がします。 以前、カラ咳が止まらなくて心配になり、いろんな病院で診てもらったことがあります。が、レントゲンをとってもどこも異常なし。病院をかわるごとに、レントゲンを撮り、毎回、咳止め薬の量が強く、多くなっていったことに慌てた経験があります。結局、「これ」といった病気は判明しなかったのですが、半年もすぎ、ある日、咳が嘘のように止まりました。ちょっとした問題が解決したとたん。です。どうやら、ストレス性のものだったのでは…本人はあまり気にしてなかったつもりなのですが、体って正直なんですね。 病気になると自分で勝手に「○○に違いない」と自己診断して、大学病院の専門を勝手に選んで診てもらっちゃう。で、判明すればいいけれど、そうでなかったときに困りますよね。そんなとき、総合診療のスペシャリストが活躍するのです。こういう存在、もっと早く知っていたらよかったのに…。 取材をすればするほど、先生たちの情熱に、ぐっとくるものがあります。 研修医さんたちの、真剣さにもエールをおくりたくなります。 お医者さん、ってホントに大変。 そしてとっても頼りになるのだなあということをしみじみ感じる今日この頃なのであります。 …とはいっても、ウチもなんですけど、ハイビジョン、うつんないのよね~。 って方、再放送も何度もしくこく(笑)あります。 BS2 毎週木曜日 20:00~20:29 &翌週の月曜日9:00~9:29 hi 毎週火曜日 7:00~7:29 &毎週金曜日 12:00~12:29 よかったらご覧くださいね~。 テレビやラジオの台本を書いて、身過ぎ世過ぎをするようになって、20年以上がたちます。(年がばれるので正確には言いませんが…)
仕事をはじめたばかりのとき、先輩に言われた言葉というのは、その時はもちろんですが、年月を経てこそますます響くなあと、最近特に思います。 「お前はその人が本当に好きか?」 初めてついた番組のプロデューサーから言われた言葉です。 ADとしてお手伝いしていたワタシに、初めてコーナー取材の機会をいただいたときのことです。 そのコーナーは、地元の隠れたプロフェッショナルを発掘し、紹介するミニドキュメントで、番組全体は、お色気もたっぷりの深夜のバラエティにもかかわらず、ちょっと骨太なコーナーとして注目されていました。 当然、はりきります。いいとこ見せたい。 「おっ、なかなかおもしろいネタを拾ってきたな」 そう、思われたい。 もう、それで頭は一杯でした。 おまけに、20年も前の時代です。「女なんか」といわれたくない。 そんな思いも、当然なかったとは言えません。 結果は…。 形にはなりました。多分、当時、地元では初めて取り上げた職業でした。 「へえ。こんな仕事があるんだ」と、先輩ディレクターたちは、よちよち歩きのワタシをねぎらってくれました。 しかし、スタジオ収録が終わったあと、プロデューサーはワタシをよんで言ったのです。 「お前、あの人を本当に取材して好きになったか? 迷いはなかったか?」と。 どきっとしました。 初めてのネタが形になったのに、「思ったほどの充実感やうれしさがわきおこってこない」もやもやの「ホントのところ」を言い当てられたからだったのです。 紹介する仕事の時代性や内容のおもしろさは確かにありました。でも、ワタシの取材がまだまだ生ぬるかったのでしょう。その人の魅力にとことん惚れているから紹介したい。という情熱が明らかに欠けていたのでした。 「ちゃんと取材する人を好きになってから、取り上げろ。そうでなかったら、どんなにいいネタでも、あきらめろ。誰が何と言っても『この人を紹介したい』そう思う気持ちがあれば、テクニックはあとからついてくる」 言ったプロデューサーは「当たり前」のひと言だったのかもしれませんが、ワタシには、いつもずっとよりそってくれている言葉のひとつです。 2月。お手伝いしているNHKアーカイブスの『蔵出し劇場 あの人からのメッセージ』がまた始まりました。 毎週木曜日は、NHKに残されている膨大なアーカイブス映像を再構成して、新たなお二人の組み合わせでメッセージを伝えるもの。 2月4日は「小倉遊亀と武原はん」 11日は「黒澤明と淀川長治」 18日は「宇野千代と三岸節子」 25日は「藤間紫と三遊亭圓楽」 3月4日は「高田渡と照屋林助」が予定されています。 ワタシは、18日放送分の「宇野千代さんと三岸節子さん」を担当しました。もちろん、大好きなお二人。この番組を担当し始めたときから「絶対、いつか」と思っていたお二人です。 タイトルは『花よりも花らしく』。「わたしにとって幸福の花」と生涯さくらを愛した作家の宇野千代さん、100点以上もの花の作品を残し、生涯、「自分の花」とは何かを追究しつづけ、最後に「さくら」にその思いを託した画家の三岸節子さん。逆境にもめげず、しなやかに何度でも甦り花を咲かせ続けたお二人の「花に託したメッセージ」を探りました。残念ながら、ご存命の間にお会いすることはかないませんでしたが、番組を通じて、お二人を知る方や、ご子孫に、生前のお二人のエピソードやお人柄をうかがうにつれ、ますます「惚れ直し」、それはそれは至福の時を過ごさせていただきました。 NHKBS2で18:00~18:38の放送です。 少しでも「大好きだ~」という思いが届くことを願っています。 昨夜、というより明け方5時。
ワタシは自分の目をうたがいましたよ。 玄関でワタシの靴が、ぷかぷか。 水にういてるじゃありませんか! すみくろが不思議そうに水浸しの玄関とワタシの顔を交互に眺めてる。 玄関には、すみくろの「猫トイレ」が常備。 まもなく、浸水しようという勢いなのです。 え? どうなってるの? 床下浸水? そんな、バカな? だって…。 ウチ。 3階ですよ。 一体、どこまで水に浸かったっていうの? しかし、目のまえのぷかぷかは事実。 おまけに、玄関脇の寝室の押入れから水がぽた~りぽた~り。 うわ~~~~。 一体、何が起こったっていうの~? まさか、マンションが水浸し? おそるおそる玄関のドアを開けてみましたよ。 ぎぎ~っとね。 目に飛び込んできたのは、水浸しの階段と水に浸かった傘たて。 すぐ、そこまで、水が来てました。 わわわわわ~。 一気に眠気が覚めました。 あわててレインシューズをはき、廊下へ階段をかけあがる。 廊下はべたべた。隣の部屋とウチの階段が水浸しになってました。 どうして階段をかけあがったかというとですね。 ちょっと説明が必要です。 ウチのマンションはちょっと不思議なつくりになってまして。 3階と4階が同じ3階のエレベータでおりるんです。 でもって同じ廊下でつながってるんですが、それぞれ階段を下りるほうが3階。上がるほうが4階。と北側に、窓、南側に階段のついた部屋がならんでます。ひと部屋ずつ、独立して階段がついているんです。昭和40年代後半に流行ったつくりだそうで、この玄関の独立感が気に入っていたのですが、このおかげて3階のワタシの部屋の前だけ、階段を下って水がべたべたにタマっていたというわけなのです。 多分、そこから床に水が浸みて、押入れから水が漏れていたと思われます。 しかし、廊下北側の窓も西側のドアもちゃんと閉まっているのに、どうして、廊下がびちゃびちゃなのか? ナゾです。 いや、そんなこと悩んでいるヒマはありません。 とにかく水をかきださなくてはっ! バケツとタオルを手に、パジャマ姿で黙々と水をタオルにすわせては絞り。またすわせては絞り…を繰り返すことおよそ1時間。 バケツ10杯分くらいをかきだしました。 それでもまだまだ、廊下のじゅうたんはべちゃべちゃです。 でも、こちらはふらふら。 タオルを絞りつづけて、左手の親指、擦れちゃうし。 今度は、新聞を一気に広げて今度は足で、踏み踏み。 ようやく、押入れからの水もれもなくなりました。 玄関先でばたばたやってるから、すみくろはもう、最初は大コーフン。 途中からは退屈して、 「何やってんの?早く遊ぼう。遊ばないなら寝ようよ~」と にゃ~にゃ~騒ぎまくりでした(笑) なんとな~く落ち着いたときには、すでに7時半。 もう、雨はおさまり、風だけがびゅーびゅー吹いておりました。 まさか。 3階に住んでで、床下浸水にあうとは思いませんでした~。 翌朝、(というより翌昼) 隣のAさん、4階にあたるTさん(ここがワタシの部屋の真上にあたります)と、廊下に新聞をひろげて水をすいとりながら、話したところでは どうやら、廊下西側のドアの下のわずかな隙間から雨が吹き込んだのが第一の原因。さらに、ワタシの部屋の玄関へまっしぐらに水がたまったのは、廊下の窓の風がぬける部分(空気アナのようなものが抜いてある部分)が、わが部屋のまん前にあたり、そこからさらに雨がダブルで吹き込んだのでは?とのこと。 だとしても、とても通常の雨が吹き込むような隙間じゃないし、空気アナにしても簡単には、吹き込めないようなつくりになっているんです。「よっぽどひどかったのねえ~」と皆でしみじみ。 同じ3階のAさんの部屋もやはり、おしいれから水漏れがあったそう。 AさんもTさんも、「随分長く住んでますけど、こんなことは初めて」とのこと。 確かに、2000年の東海豪雨もすごかったけど、ここまでの水害はありませんでした。 いや~。台風ってやっぱりすごいわあ~。
え~。ワタクシ、
ドラマデビューをいたしました! ![]() ええええ~~?? 女優になったの? な~んて思った人は… まさか… いませんよね。 やっぱり…。 シナリオです。 シナリオを書かせていただきました。 NHKの「中学生日記」。 ものすご~い長寿番組です。 台本の裏表紙に歴史が載っていました。 前身の「中学生次郎」がスタートしたのは昭和37年。 以来「中学生時代」「高校生時代」「われら高校生」「中学生群像」とつづいて昭和47年から「中学生日記」となって現在に至る のだそうです。 出演しているのは、オーディションで選ばれた地元・名古屋周辺の中学生たち。ということもあって、「あの子出てるんだって」なんて生徒が、同じ学校にいたものです。 子どもの頃に見ていた番組を書かせていただけたことに、感激。 そんな番組が、自分が仕事をする年齢になっても続いているというのは、このご時世、中々めぐり合える偶然ではありません。 しかし以前、一度だけそんな偶然にあずかれたことがあります。 東海地区を中心に放送していた番組ですが『てれび博物館』というファミリー向けの科学番組がありました(スタートの1976年から司会は俳優の川津祐介さんがずっと1000回までやってくださいました。そのあとを継いで大桃美代子さんになり2004年までつづきました今でも放送回数は多分まだ「所さんの目がテン」も破れていないと思います。関東地区や関西地区でも曜日を変えて放送していました。)ワタシは高校生の時から好きでこの番組を見ていたので、構成の仕事についてしばらくして、台本を書いたときには、もう天にも上る心地だったことを思い出します。 テレビやラジオの番組は、一過性であるのが常です。 大勢の人に見ていただいたり、聴いていただいたりするという喜びがあるのも確かですが、直接、ライブで見ていただけるわけではないし、作り手は「本当にこれでよかったのかな?」と不安になったり「誰かの役にたったりするかしらん?」とちょっと寂しくなったりもするものです。 そんなとき「てれび博物館」で取材先の若い研究者に「ボクはこの番組を好きで見ていたんです」といわれたり「番組を見て、卒業研究を決めました」なんてお便りが届いたりすることがあると、うれしいことももちろんですが、なんだか同志に出会ったみたいな感激があったものです。 だから、なんとなく、信じたい思いはあるんです。 長寿番組って、見えないバトンが知らないうちに、知らない誰かに渡せることがあるんだ。と。 「中学生日記」はもうすぐ半世紀。 ワタシもこの大きな流れの中に足をつっこませていただいたからには、ちゃんとバトンを持って走らないと。 9月12日 19:15~19:44 NHK教育 (再放送は19日(中部以外)と20日(中部のみ)) 「ボクたちの化学反応」というタイトルです。 1411回目の放送です。 おしりもじもじ。
心ここにあらず。 落ち着かない、おじいちゃん。 取材している当方としては 「何か、失礼なこと、言っちゃったのかなあ」 ちょっと心配になる。 すると… 「まあ、カメラ(取材)はええかね。早く家へ帰りたいんだけどねえ」 と名古屋弁で、にこにこおっしゃる。 「え~? やっぱり取材拒否?」 当時、駆け出しだったワタシ。 ディレクターにどなられたらどうしようとドキドキした。 おじいちゃんの名は、杉本健吉。 そう、あの画家の杉本健吉さんである。 「今朝ね、ものすご~く。きれいにぼたんが咲いたんだわ~。早く家へ帰って描きたいんだわ~」 そうか~。だからもじもじしてたのか~。 なんだ~。当方の取り越し苦労だったのだ~。 杉本さんのモットーは「感激したら即描く」こと。 「感激は受胎」と常々おっしゃっているのだから。 もう描かなきゃいられない。根っからの画描きさん。 まるで子どもが純粋に描きたいように、心も体も動く方なのだ。 こんな人、初めて会った。 当時、80歳になられたばかりだったと思う。 このエネルギーはすごい! 一体、どこからくるのだろう? 圧倒されたのをよく覚えている。 あれから20年以上が経った。 杉本さんも98歳で亡くなられた。 しかし、またお会いすることができたのである。 NHKのアーカイブス映像を再構成、新たな切り口で創る 「蔵出し劇場 あの人からのメッセージ」をまた担当させていただいた。 今回は杉本健吉さんと、その親友、写真家の入江泰吉さんとの 組み合わせ。 お二人は奇しくも同じ年、戦後41歳の時に、奈良で知り合い、その友情は終生つづいた。 生涯を奈良に捧げたともいえる入江さんと、「奈良の杉本」と評されるほど「惚れて」奈良を描きつづけた杉本さん。残された膨大なお二人の番組を観、エピソードをうかがうにつけ、思うことはひとつ。 縁(えにし)の不思議さと大切さ。 お二人とも素晴らしいアーティストであることは間違いないが、杉本さんは入江さんが、入江さんが杉本さんがいなかったら…と思う。心支えあう、また才能あふれた友人をもつことが、これほど人生を豊かに、またエネルギッシュなものにしてくれるものなのか。と。 そして、その出逢いは人生を折り返したあとでも、充分であるのだ。と。 私も、不惑近くなってからであい、普段は離れていてもときどき会っては刺激をもらう6人の仲間がいる。先日、その友人の一人が長年頑張っていた小説で賞をとり、皆で祝ったばかりである。ついだらけてしまうときは「こんなことをしていると仲間に申し訳ない」と励みになり、仲間に喜びごとがあれば、それはまた、自分のエネルギーになる。 仲間に出会ったのも縁なら、こういう仕事に就いたのも縁。 今回のように仕事をはじめたばかりの頃に出逢った「忘れられない人」に もう一度番組で出逢えたのも縁といわずして何と言おう。 「あの頃のように、がんばりなさい。感激を忘れちゃいかん」と杉本さんに言われたような気持に勝手になっている私なのである。 そんな初心に帰った番組は NHK BS2 「蔵出し劇場 あの人からのメッセージ 友と二人 大和の心を愛す ~入江泰吉と杉本健吉~」19:45~20:25 で放送します。 お時間あればご覧くださいませ。 相撲好きだが、野球は実はそれほどでもない。野球観戦も、両手に余るくらいしか経験がない。 先日、ご縁があって、巨人戦にお誘いいただいた。 席についてびっくり。 ち…近いっ。 ついたての向こうに、もう芝生。席には、グローブとヘルメットが置いてある。 そう。油断してると(油断してなくても…か…)飛んでくるのだ。ボールが。ご注意めされよ。というワケ。 チェンジのたびに、こんな看板をもったおにいちゃん(ちゃんと呼び名があるんでしょう。すみません。知らなくて)が前を通っていく。 夏の宵。 ビールのんでお弁当食べて、とりあえず巨人側なんで巨人、応援しとこっか~。くらいに思っていたワタシは甘かった。 しかし、やっぱりスポーツの力はすごい。ライブの力はすごい。 いつのまにか、ワタクシ、この格好で真剣にボールを追っておりました。 ![]() 「エキサイト」シートとはよく言ったものです。はい。
アップするのが遅くなってしまったが、先の日記で書いた、「相撲部屋」取材の目的はこれ。
何の道具かおわかりだろうか?床山さんの道具箱。 力士たちの髪を結うプロフェッショナルである。 「スタイルプラス」という番組の中で、東海地方の職人を取り上げるコーナーがあり、その取材でうかがったのだ。 床山さんの必須アイテムは何と言っても「くし」。 それもつげの櫛。 実は、力士御用達のつげ櫛を作っているのは、たったひとり。 名古屋市内の職人さんなのである。 くし職人さんは、以前、別の番組で取材させていただいたことがあるが、実際に使っている床山さんの取材をさせていただくのは初めてだ。 何をかくそう。ワタクシ、小学生のことからの相撲好き。 ディレクターに 「朝、早いけど…」といわれても 「行く、行く、這ってでも行きますっ!」 前夜はこの取材のための台本を徹夜で書かなければならなかったのだが、それくらいが何だ!「這う」どころか、スキップしながら、松ヶ根部屋の稽古場へ足を運んだ。 あのもと「若嶋津」の部屋だ。 「わ~い。わ~い。若嶋津だぁ~」とやりたかったのだが そこは大人。それに仕事なので、ぐ~っと我慢する。 しかし、心はドキドキ。ほとんど、女子高校生状態。 朝稽古がすんで、いよいよちゃんこ。そして、その横で床山さんの仕事が始まる。 松ヶ根親方に「まずはちゃんこどうぞ」といわれて、もう、すぐさま前に座りたかったが、ディレクターやカメラマンが動くまで、これもじっと我慢。 プライベイトで相撲の朝稽古を拝見したことはあったが、ちゃんこも実は初体験。 若い力士がよそってくれる。 きゃべつと肉がたっぷりの鍋を、ポン酢でいただく。このポン酢にちぎったのりがいれてあり、これが中々風味よし。 会話もはずんできたところで、ついに勇気をふりしぼってお願いする。 「あの~。ちゃんこ鍋のお写真、とらせていただいていいでしょうか?」 ああ~~~。取材なのに~。 大人なのに~。 ワタシったら~。 「どうぞ。あ、じゃあキャベツの下に埋もれてる肉も出して~」 などと気さくに応えてくださった。 お言葉に甘えてパチリ。 おいしくてぱくり。 もちろん、床山さんの取材もしっかり!(ここが大事) 力士の髪を結うのをあんなに間近で拝見したのは初めてで感激した。 4種類のつげ櫛。力士ごとに名前をはった鬢付け油。 ブリキのハコに水がはってあるがこれが大切。 水とびんつけ油とをいかになじませるか?がコツなのだそうだ。 松ヶ根部屋の床山さんはまだ三等床山(修業の年月で段階があるのだ)だそうだが、部屋の力士たちにとても信頼されているのがよくわかる。髪をゆだねているときの彼らの気持ちよさそうな表情がそれを物語っている。 「こんなに近くで見られたことないからテレますねえ~」 力士たちも床山さんも照れることしきり。 どうして床山になろうと思ったのか。くしの取材には関係ない質問にも、にこやかに答えてくださった。 顔かたちや髪質によって少しずつ工夫していることや、他の力士の頭についつい目が行く話しなど、取材は笑顔の中で和やかに進行。 「いつか横綱の大銀杏を」 床山さんと部屋の力士たち、両方の夢がいつかかないますように。 びんつけ油の甘い香りが部屋中に漂って、幸せな時間をすごさせていただいた。 地下鉄や、電車の中でこの香りをかぐと「ああ、夏が来たなあ」と思ったものだ。 名古屋の夏はこの香り、とどこかで刷り込まれているのだろう。 今年は、実は、高校時代の友人たちと夏場所前に「土俵祭り」(土俵の中央に勝栗やするめなどを埋め、土俵を清める神事)を見学。夏場所も観戦した。 名古屋の夏はやっぱり、相撲だがね~。 昨年、観にいくはず…だった。『三人吉三』。せっかく友人が先行予約でチケットをとってくれたのに、仕事が入ってダメになった。観てきたひとはもちろん、以前、観たことがあるひとも、「残念~。ず~っごく面白いのに~」と傷口をひらいて塩をすりすり塗りこむし、ある友人などは、「仕事と芝居とどっちが大事なんだ~」と非難する始末(笑) 「ああ。口惜しや。口惜しや~」とのたうちまわって ようやく1年。 今年こそ! リベンジ。 ようやくチケットをゲットし(それはそれは大変でした) 「いざ。いざぁ~」 『夏祭浪花鑑』(なつまつりなにわかがみ) 勘三郎扮する団七九郎兵衛が、笹野高史扮する彼の舅、三河屋義兵次を殺してしまうという悲劇。しかし、そこに登場する人物たちの男気、女気(あえて言いたくなる)の気持ちよさ。「祭り」のもっている何ともいえない、人を狂わせる「熱」のようなものが、時にユーモラスにまた時にぐいぐいと舞台へと観客を巻き込んで、会場全体がまさに夏祭りの喧騒の中にいるかのごとく感じさせてくれる。 義兵次が殺されて、全身泥まみれになりながら池に沈んでいく泥場はもちろん、和ろうそくで夜と彼らを黒子たちが照らすという、独特の演出は迫力、ムードともに満点。 海外のお客さんが熱狂したのは当たり前だ。 ラストはご存知、舞台裏をブチ抜いてパトカーが到着。 外の駐車場をゆく町の風景がそのまま、舞台と一体になるしかけだ。 当然、「今」を歩いているフツ~の人が、今の今まで、江戸時代の大阪・夏祭りの渦中にいた人々の輪の中に期せずして、参加しちゃうことになる。(テント芝居とかではあるけど…) そこで、ふと、思い出した。 コクーン歌舞伎が行われるBUNNKAMURAは、先日、私が『靖国・YASUKUNI』を観た映画館のすぐ目の前だ。 コクーン歌舞伎の異次元と、ドキュメント『YASUKUNI』の異次元が、2008年6月渋谷という現実をはさんで向き合っている。 勝手にそんな偶然にどきどきしながらも、やっぱりさっきの舞台裏の駐車場、覗きに行っちゃった(笑) < 前のページ次のページ >
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