この仕事の醍醐味のひとつは、滅多にお会いできない方にお会いでき、しかも直にお話を聴くチャンスがあるということ。
このサインは…。 誰のものかというと…? ![]() 2008年にノーベル物理学賞を受賞された益川敏英先生。 先月、行われた講演会で構成を担当させていただく光栄にあずかった。 全国FM局のネットワークが主宰する「未来授業」。 日本の将来を担う学生たちのために、知の先達から未来にむけての授業をうけるというもの。 名古屋はFMAICHIが担当。益川先生が「科学と未来」をテーマに講演をされた。 ちなみに、 東京は、姜 尚中、齋藤孝、福岡 伸一の三氏。 福岡は 九州大学応用力学研究所の大屋 裕二先生。 仙台は、NPO法人「 森は海の恋人 」代表の畠山 重篤氏と、 脚本家の内館 牧子氏。 名古屋を皮切りに全国で授業が行われたのだが、 この模様は11月3日15時~18時に全国のFM局で放送される。 パーソナリティは、茂木健一郎さんと坂本美雨さん。 2011年、未曾有の災害に襲われた日本。今こそ地に足つけて遠くを見据えることが、光を見つける大切な姿勢なのではないかと思ったりする。 興味のある方はぜひ。お耳を拝借。 「FMフェスティバル2011」未来授業~明日の日本人たちへ~JFN38局ネット 15:00~18:00 昨年、このブログでもご案内させていただいた医療バラエティ番組。
![]() 今年2シーズン目がスタートしています。 『総合診療医 ドクターG』 NHK総合で毎週木曜日午後10時から45分間の放送です。 総合診療医というのは、身体を丸ごと診るといった立場のお医者さま。 専門化、細分化が進む医療の中で今見直されている存在です。 バラエティといっても司会が浅草キッドさんというだけで 研修医が再現ドラマをもとに病名を総合診療のドクターと一緒に カンファレンス(という医療検討会)をガチンコで行うというちょっと実験的な番組です。 今週10月13日放送分を担当しました~! 愛知県の藤田保健衛生大学病院の山中ドクターが登場されます。 昨年のBSハイビジョンでもお世話になりました。 またお会いできてうれしかった~。 笑顔のステキなドクターです。 よろしかったらぜひ、ご覧下さ~い。 といいながら、もう、最終回なんですけどね(笑) 20代の頃、「もうこいつとは10何年のつきあいになる」とか「知り合ってもう20年」なんていう話をしあう人生の先輩たちを見て、羨ましいと思いながらも、「ものすごく遠い話」だと思っていた。
しかし、あれから齢を重ねることウン十年。 自分も「思えば長いつきあいだよね~」といいあえる友人、知人が大勢いる年になった。 昨夜は、そんな長いおつきあいだった方の3回忌のパーティだった。 知り合ったきっかけは、その方が主宰した観月コンサート。 名古屋港でお月見をしながらクラシックのコンサートを開くというもの。 担当しているラジオ番組で紹介させていただいたのがきっかけだった。 音楽好きが高じて、自宅に若手の演奏家を招いて、サロンコンサートをよく開いておられた。 その後もプライベイトでお声かけをしていただき、何度も足を運ぶうち、彼ら、彼女らとも親しくさせていただくようになった。お料理上手な奥様の手料理も楽しみで、レシピをいくつもメモさせていただいた。 昨夜はそんな演奏家たち、そして父上の音楽好きを見事に引き継ぎ、声楽家になった娘さんも加わっての演奏会。ピアノあり、フルートあり、歌ありで賑やかに亡き人をしのんだ。なぜかお酒をあまりめしあがらなかったにもかかわらず、おいしいものは大好きだったせいか、仲間には、飲んべえが多い。ワインも次々に空くこと。空くこと。人徳なのだろうが、本当に、種々雑多な職業と年代の方がいつも集まった。本職は何と!神主さん。神主なのに3回忌でパーティってのも変なのだが(笑)これは周囲の仲間が計画したこと。ご本人は「神も仏も関係ないですよ」と笑っておられそうだ。 20年ちかいお付き合いだった。もちろんうんと年上なのだが、私も見送ってくださって、ひょっとしたら、ずっと100歳120歳、いや。仙人のように長生きされるのでは…と皆が真剣に思っていたふしさえある方だった。 「今もそこでニコニコ笑いながら一緒にいるみたいだね」。そこにいる誰もが口にした。 しかし、やはり、そこに姿はない。 重ねてきた「長いおつきあい」にもこうして、いつかピリオドを打たねばならないときは、こらからいくつもやって来るのだろう。 「我々もお互い長いよねえ」などと言い合いつつ、集まった仲間と、「その時」のかけがえのなさを改めて感じた夜だった。 本日、9月11日(日) 12:33~13:30
中京テレビで、報道の特別番組を放送します。 『news every 震災を考える 大震災からの教訓!命を守る知恵』 あの未曾有の大震災から半年。 哀しみは今も続いています。 しかし私たちは前を見、この経験からさまざまな知恵を学ばなければ…。 先の震災で起きた仙台市の隣、多賀城市での都市型の津波の恐怖を教訓に、名古屋市での津波への警告。 ライフラインを絶たれた都市生活のもろさ。 地元名古屋を冷静に見据えながら、 命を守る知恵、そして、命をつなぐ知恵を探っています。 取材を重ね、実際に現地で数週間を過ごしたスタッフの経験を聴くたびに 「それは、今かもしれない」という思いをますます強くしました。 ![]() お時間がある方はぜひご覧下さい。 すみくろ、一緒に備えようね。
テレビ放送がアナログからデジタルへ完全移行!
というわけで、我が家のテレビモニターが、ブルーバックになる瞬間を目撃いたしました! ![]() そう。実は、ウチはまだデジタル化してないんです。 先日、あわてて、デジタルテレビを買いにいったのですが、案の定人気の32インチは品切れ。 「一番早いおとどけは、8月の頭になります」といわれ、結局、取り付けは8月頭となりました。 おかげで、創った番組はオンタイムで見られず、これからかかわる番組もみられず。という情けない状態の一週間になりそうです。友人に「紺屋の白袴」といわれてしまいました。トホホ。 でも、いいもん。 おかげで、歴史的瞬間を体感したぞ~。 と強がりつつ、ブルーな画面をあとに名古屋今池の映画館シネマテークへ向かいました。 『青空どろぼう』。地元東海テレビが製作した第二弾の(以前第一弾の『平成ジレンマ』についてもブログに書きました)ドキュメンタリー映画です。高度経済成長期に大きな社会問題となった、四日市の公害がテーマです。 長年にわたって四日市公害の犠牲となった公害病患者をサポートし膨大な記録をしつづけている澤井余志郎さんと、公害裁判の元原告の一人、野田之一さんを軸に、発生当時から現在に到るまでの活動を描きながら、人間と環境のありかたをといつづけます。 「国策」として、「国の発展」のために「よいこと」だと信じ、住民たちがむしろ自慢だったコンビナート。その煙があんなにも有害で、自分達の命を、町の青空を奪っていくことになるとは。 発生は、40年以上前。しかし、その国のあり方、企業の隠蔽対策、巻き込まれた住民たちの身体とこころがひきさかれてていく様子は、今、まさに東北で起こっていることに重なって見えてくるのです。 三重県四日市市は、愛知県知多半島がふるさとのわたしにとって、海(伊勢湾)をはさんだ、すぐむかいの町です。空につきさすコンビナートの煙突はすぐそこに見えました。小学生のころ、「今日は光化学スモッグがひどいから、窓をあけたり、外で遊ばないように」という日があったことを、覚えています。映画の中で、公害がもとで命を落とした一人の少女が象徴的に登場します。同世代であることに、愕然としました。あれは私だったかもしれないのだと。 それでも、「四日市公害」は過去のことなのだと思っていました。長い裁判期間を経て、住民は勝訴。企業側も、環境に配慮した設備の設置が義務付けられ、それはずっと守られているものだと思っていました。 長いときを経て、発病する人たちもいます。それをケアする法律が現在、国の法改正でなくなっており、企業側も世代を交代し、「過去」として処理しようとしていることも知りました。さらに新たに覗いた四日市の海は、いまだに魚がすめないのだということも知りました。 四日市の公害は終わっていないのです。 映画の主人公 澤井さんは、住民や患者たちとよりそいながら静かな闘いをつづけています。しかし、その表情は実におだやかで「活動」「闘争」という勝手なイメージからは程遠く、報道の姿勢だけでなく、人の生きかたのありようまでを考えさせられました。誰かを「敵」をみなすのではなく、どうやったら共に生きていくことができるのかを模索し続けた方だからかもしれません。 裁判で勝訴したとき、原告の一人だった野田さんは「この判決で四日市に青空がもどったわけではない。本当の青空がもどったときに、支援してくれたみなさんにありがとうと言いたい」と挨拶します。 この日は奇しくも、7月24日。 39年がたった今、四日市に青空はもどっていないのだと、映画館を出て思わず空をあおぎました。 そしてこの空は、遠く、東北へとつづいていることを思わざるをえませんでした。 梅雨の季節。
この時期の晴れ間って、貴重。 布団を干さないとね。 ![]() あれ? すみくろさん。そんなところで何してるの? ![]() ワタシだっていろいろやることあるのじゃ。 ![]() 湿気が多いからセットが中々きまらないし。 ![]() 肉球もちゃんと干しておかなくちゃ。 あ、気にせずともよいぞ。 あとは、昼寝するだけじゃ。 …そうですか。ごゆっくり。 「愛知県ってどこに住んでるの?」そうきかれたとき、「戸塚ヨットスクールのあるとこ、知多半島」 「へええ~!」 こういってすぐわかるくらい、世間で騒がれていた時代があった。 今から、30年近く前。 「戸塚ヨットスクール」。 非行や不登校の子供たちをヨット訓練で再教育しようという、愛知県知多半島にある施設である。 訓練生の死をきっかけに、「体罰が教育か否か」が一大議論となり、最終的に校長である戸塚氏は有罪判決を受けた。 刑期を終え、出所した戸塚氏は再び校長として復帰。そして、今も、そこに入校する子供たちはなくなることはない。むしろ、ひきこもり、新たに「二ート」と呼ばれる大人たちまでがやってくる。 その事実を目の当たりにし、今一度、戸塚ヨットスクールにカメラを向けたドキュメンタリーが『平成ジレンマ』である。 制作は、名古屋の東海テレビ。 テレビドキュメンタリーとして放送されたものを、新たに劇場版として再編集。 1月末の名古屋を皮切りに全国で劇場公開されている。 テレビ離れと言われて久しく、ドキュメンタリーに到っては、さらに地方局とくれば、制作の機会をつくることさえ難しいといわれている昨今、うれしいエールだ。 東海テレビは、名古屋にあって早や50年以上の歴史を誇る民放である。 一昨年、50周年の歩みをまとめるお手伝いをさせていたいたおり、子どものころ、懐かしく観た番組はもちろん、「これだったのか」と思いだす素晴らしいドキュメンタリーの数々を拝見する機会に恵まれた。 地元に密着し、時には現場にスタッフが長期で生活して、制作したというエピソードなどもうかがった。 いまだに問題を抱える「徳山ダム」などは、NHKの取材以前からずっと村の生活を追いつづけ、東海テレビでしかとらえられなかった映像やインタビューも数多く残されている。伝説の名カメラマンも多く、その映像と資料を拝見して、「ああ、私が学生のとき見たのはこのドキュメンタリーだったのか」と思い出せるほど、その映像やシーンは、圧倒的な力を持っていた。そうした作品は数々の賞にも輝き、この『平成ジレンマ』のスタッフにもそのDNAは継承されている。 冒頭に登場する、戸塚ヨットスクールでの体罰と訓練の様子。 今では、到底考えられないようなシーンと怒号が、これでもかと繰り返される。 これは、30年前に撮影された当時のドキュメンタリーのものだ。 手や足が飛ばない「平成」の訓練の様子を重ねることで、語らずとも鮮やかにその30年の矛盾を浮かび上がらせる。 そこには、点ではなく、線でもなく、面となって脈々とつながった取材者の視点と作品が存在する。 「体罰は悪」 一斉に糾弾したあの頃のマスコミの中に、実は自分達もいたのだ。と気づかされる現実。 しかし、「体罰を一掃した教育は、どんな社会を子供たちをつくったか…」 自問自答の中に、カメラと視点を置く、取材者のジレンマ。そしてこれからも続くであろうその揺れる思い。 こういう形で浮かび上がらせることができるのは、「テレビ」ドキュメンタリーだからこそだと思う。 時代時代の、取材者たちの視点、悩み、ぶれをもひっくるめて、改めて「今」を切り取る視点と姿勢は素晴らしい。加えて言えば、わたしなんかが言うのもおこがましくらい、「観る人のことを考えた」つくりの工夫も、テレビで培ったノウハウならでは。 『裁判長のお弁当』『光と影~光市母子殺害事件弁護団の300日』などすぐれた作品を、発表してきたスタッフだが、改めて、劇場で公開することで、多くの人が観る機会に恵まれるばかりでなく、テレビドキュメンタリーの可能性がひろがったようで勝手にうれしい。 何度読んでも泣くのだ。
『100万回生きたねこ』。 100万回死んで、100万回生きたねこのお話。飼い主を一度も好きにならず、死ぬのなんか平気だったねこが 最後に生まれ変わったのは、のらねこ。 一匹の白いねこに恋をして、初めて死をおそれ 愛するもののために初めて涙を流す。 そして、この一生を最後に…二度と生き返らなかった…というお話。 出版されたのは、34年も前。 しかし、今も、これからも、何度でも読み返したくなる絵本だ。 愛の大切さを語っているのだという人がいる。 100万回の生と死は、修業だったと解く人がいる。 子どもの時、そして大人になったとき、さらに苦しみや喜びに出会ったとき 心のありようで、多分、解釈は無限大。 それがこの絵本の魅力だと思う。 主人公の「ねこ」の目つきが悪いところが いつもかなり残酷な死に方をするところが 意外とワタシはスキだったりする。 それなのに、読むたびに何度もあったかい涙が出る。 大好きな絵本の作者。 ご縁があった。 NHKのアーカイブスの番組で作者、佐野洋子さんを取り上げさせていただくことになった。 定期的なシリーズ「蔵出し劇場 あの人からのメッセージ」だ。 ステキなメッセージを残された方を二人組み合わせ、NHKのアーカイブスの映像を再構成して全く別の番組を作り上げる。 佐野さんの映像は、ほとんどないに等しかったのだが、 ご遺族のご協力、そして佐野さんのトークライブなどを開催された子どもの本の専門店のみなさんのご尽力で、なんとかまとめることができた。 『100万回生きたねこ』を語るラジオ番組での佐野さんの発言はかなり貴重なもの。 「15分でできちゃったの」とひょうひょうとおっしゃいながら、込めた思いがコメントにあふれている。 モデルといわれた、当時の飼い猫ミーニャとの2Sも登場する。(猫好きなのでついついここに力が入った…) 組み合わせるのは、『橋のない川』の作者、作家の住井すゑさんである。 意外や意外、お二人で絵本を創られているのだ。 住井さんのご遺族に番組企画のお願いをさせて頂いた折、 「佐野さんとごいっしょなんてうれしいわ」とおっしゃってくださった。 「何のために生まれてくるのかな?」 な~んて大層なことだが、結局、人間ってそんなことを考えてわかんないまんま死んでいくやっかいな生き物だ。 多分、うちの飼い猫すみくろはそんなことは微塵も考えていない(と思われる)能天気なワタシでさえ、考えないといったらウソになる。 そして、そこには「何のために番組を創る仕事についているのかな?」 ということも、偉そうにふくまれていたりするから、やっかいだ。 そんなこと思いながら、もう随分、番組作りに携わってきた。 くじけそうになることもあるけれど、 今回のようなご縁に出会い、 そしてごいっしょした方に励まされると 「やっててよかった」 とうれしくて小躍りしたくなり 「これもひとつ役目だったのかな」 などと、不遜なことも考えてしまったりする。 そして、まだまだそんなことを悩みながら続けていき また、『100万回生きたねこ』を読み返すに違いない。 ところで、そんなワタシを飼い主に持ったすみくろは、一体、何回目の生まれ変わり…? 『蔵出し劇場 あの人からのメッセージ』 ~いのち 等しく輝け~佐野洋子と住井すゑ~ 2月17日(木) NHKBS2 18:00~(38分です)
いや~。思いっきりご無沙汰してしましました。
ツイッターを始めたら、そっちばかりになってしまって。 というわけで、業務連絡。というより番組の宣伝です。 今年の4月~9月までNHKBS2で放送していた『総合診療医ドクターG』12月18日の深夜、NHK総合テレビで再放送されます。 一挙4本。 24時50分~26時50分 中部地区は残念ながら2本で、こちらには、私の担当分ナシ。なのでちょっと寂しいけど。 こちらの放送時間は、同じく12月18日の深夜25時50分から26時50分 BSではなかなか観られなかったとおっしゃっていた方もこれなら。 で、さらに 22日には、NHK総合午後8時から 特別番組が放送される予定! ブログ、サボってましたが、もちろん感激はもりだくさん。 即、つぶやいていたのでなんだか満足してしまってました。 古典落語のその後を創作したSWAの新作のおもしろさ。 ナレーター槇大輔さん率いる「語り座」で、「こころにとどく語り」について考えたこと。 絵本作家、佐野洋子さんのこと。 今月の初め、おわかれの会を取材させていただきました。 今、彼女の番組を創っているところです。 (放送は来年2月NHKBS2での予定) などなど、ぼちぼち、書いていくつもりです。 あ、でも、まだ、年賀状さえ、書いてなかったんだ…。 わが愛猫「すみくろ」は黒猫である。黒猫だからといって、宅急便で働いたりはしていない。 しかし…。 先日、急ぎの原稿のため徹夜で台本書きとなった朝。 ほとんど倒れこむようにしてベッドでねむった。 夕方、電話でおこされたとき、 足元には、すみくろが寝ていた。 しかし…。 何かがヘンだ。 何かが足りない。 そう。 肌寒くなった昨今、夏蒲団の上にタオルケットをかけて寝ていたのだが タオルケットがないのだ。 あれ? 爆睡中に暑くなってはがしちゃったのか? それとも、タオルケット、掛け忘れたのか? と思って寝室を探したが見当たらない。 リビングにもどった私の頭に再び「?」が。 なんと、リビングの隅にタオルケットが移動していたのだ。 あれ? タオルケット、こんなところにいつ持ってきたんだろう? おまけに、玄関にあったすみくろお気に入りのネコマットも一緒だ。 徹夜明けのぼんやりあたまが次第にクリアになってきたころ、 私の頭の中の「?」が「!」に変わった。 「すみくろ」だ! すみくろが運んだに違いない! まさか~。とお思いになるだろう。 しかし、以前、実家でわたしと両親は目撃したのだ。 すみくろが、わたしのベッドのベッドカバーをくわえてずるずるとひきずりながら、リビングまで運んでいくところを。 それも、1度ならず3度も! すみくろは現在体重4キロ強。 メスネコとはいえ、なかなか力持ち。 脚力はもちろん、かみぐせがあるので(これはまた書きます) やたらとなんでもかんだりくわえたりする。 歯の力も相当なものだと思われる。 朝方ねむったきり起きない飼い主に、しびれをきらし、 遊んでくれないのなら自分で遊ぶもん!とばかりに タオルケットを運んだのではないか。 とはいえ、わたしが寝ぼけてタオルケットだけをリビングに運び、 再びベッドでねむりコケタ。という説が完全否定されたわけではない。 すみくろに聴いてみないとわからないが、 タオルケットとネコマットが大移動していた、ことだけは事実である。 え~? わたし~? し~らな~い。 今日は、中秋の名月。
夜、土砂降りになったので、少し心配したが、お月様は顔を出してくれた。 すみくろとベランダで月見。 とはいえ、月を眺めているのは私ばかり。 すみくろは「何してるのにゃ?」と私の顔を眺めてる。 3年前、やはりここから月の写真をとって友人にメールした。 彼女は、病院のベッドの上だった。 次の年の月は見られないことを納得して、闘病生活を送っていた。 私がしてあげられることは何もないのか? 医者をしている友人に尋ねた。 「普段通りにしてあげること。学生時代、一緒にすごしたときと同じように接してあげられるのは君だけ」と言われた。 ふるさとを離れて暮らしている彼女に、 自分がその日過ごした名古屋の風景を、思い出したように報告した。 できるだけ、さり気なく。 上手にできたかどうか、もう彼女に尋ねる術はないが。 季節は夏から秋。 取材で食べた「栗きんとん」の写真を送ったこともあった。 「もう、そんな季節なんだね~」と返事。 「あのメールみたら。急に栗きんとん食べたいっておかあさん。あのあと食べたんだよ」 墓参りのときに娘から聞いた。 寒い季節が来る前に、逝ってしまった。 学生時代から、はっぱを掛けられていた。 病院のベッドでも、見舞いにいったほうの私が逆に 「あんたの将来が心配。そんなにぼんやりしてて」と いわれたっけ。 こちらこそ、一緒におばあちゃんになれるんだと思ってたよ。 「あのときはさあ」なんて、思い出話を将来するつもりでいたんだよ。 見晴らしのいい病室だった。 あそこからはどんな風に月が見えていたのだろう。 「月はどこでみても同じ月だけどね」といいつつ、送った私。 同じ月をみていることで、彼女の存在を確認したかった。 今、どこで彼女はこの月をみているのだろう? 「しっかりしなよ!」 友の声がいま、とても聴きたい。 「万が一のことがあったら、あそこに私の友達が埋まってるかもしれません!って瓦礫の中から探してね!」
近所に住む友人にそう、時々、話している。 偶然ではあるが、高校時代の同級生とこれまた親しい友人夫妻が道を隔てた近くに住んでいるのである。 都会(といっても名古屋だけど)のマンション暮らしになって早10年以上。 マンションの住民の方とはあいさつをするようにしているが、 正直言って言葉を交わしたことがない人も数人いる。 万が一、そう、巨大地震に見舞われたとき、 ひとりで暮らしている自分はいつ、いかなる方法で逃げ、 そしてご近所に助けを求めればいいのだろう? 思っちゃいるけど中々実行できないというのも事実。 明日(19日)放送になる 「news every スペシャル 巨大地震からの教訓!近所の絆が命をつなぐ」 (中京テレビ 16時半から)で、そんな近所の力に注目した。 阪神淡路大震災をきっかけにマンションの自主防災をスタートさせたという加古川のマンションを取材した。 いざ、というときの炊き出し用に準備されているのは「イカ焼き機」。関西名物でみなさんの大好物。粉は各家庭で常に余分に常備し、いざというとき持ち寄ることになっている。マンションで定期的に行われる祭りでだされるイカ焼きが、そのまま手早く焼く訓練になっているという一石二鳥。災害時の水を確保するため、自費で井戸も掘った。これも、災害時だけでなく、みなさんの井戸端会議の場所に、子供たちの水遊びの場所にと普段は使われている。こうした「普段遣い」の防災が、自然に身についていることの素晴らしさに感心しきり。しかし、これも一朝一夕にできあがったシステムではないとのこと。10数年かけてあいさつからスタートしたと世話役の0氏は語る。 肩肘張った「防災訓練」をするのではなく、自然に住民同志が声をかけあい、助け合い、気にしあう暮らし。 これをつくってきたことこそが、「最大の備え」であり「ライフライン」なのだ。 私事だが、昨年、母が急病で倒れ救急車で運ばれた。 その折、ずっと親身になって力になってくださったのは、母がずっとおつきあいをつみあげてきたご近所のみなさんだった。「イザ」というときの「ご近所の底力」はやはりすごい。 そしてそれは、自らつくってこなくてはいけないものなのだと痛感したばかり。 とはいえ、常備している非常用持ち出し袋も購入したときのまま、部屋の隅においてある私。 まずは足元からちゃんとしないとね。 「紺屋の白袴」にならぬように。 久しぶりにふるさと半田の新美南吉記念館へ。ごぞんじ『ごんぎつね』の作者。 実は、高校の大先輩(旧制中学ですけどね)にもあたるため、南吉への思いはちょっと特別なものがある。 今回の目的は「知多半島におけるキツネの生態と民俗」の公演を聴くため。 講師を務められる相地 満先生は、以前、『てれび博物館』という自然科学番組を担当していたおり、大変お世話になった方だ。知多半島の里山のお話を取材させていただいていた10数年前、もはや知多半島にいなくなったといわれていたホンドギツネの目撃が飛び込んでき、非常に興奮したことを今も鮮明に覚えている。そのため、今回、「帰ってきたごんぎつね」についてオハナシをされるときき、早速かけつけたというわけ。 『ごんぎつね』はもちろん『手袋を買いに』『狐』など、南吉の作品にはキツネがよく登場することは知られているとおり。以前は、「自然の豊かな里山の風景の中、それに親しんだ南吉があたりまえのようにキツネをモチーフに選んだ」のだと、単純に思っていた。ところが、どれもが自然観察者としての南吉の確かな生態観察に裏打ちされた物語だったということを知り、感動ひとしお。 例えば『手ぶくろを買いに』。冬をむかえ、手が冷たいと訴える子ギツネに、母ギツネがお金を渡して人間の町で手袋を買ってくるようにいう物語。「人間にひどい目にあったことがある母ギツネがどうして子供をひとりで人間の町へ使いにやるのか!」とつっこむ読み手があるとか。しかし、これも、本来ならこの季節には、すでに子ギツネは巣穴からでて独立しているはずなのだという。それにもかかわらず、母と一緒にいるのである。母は厳しい子離れの訓練をしているのだととらえられなくはないか? 百歩譲って南吉がそこまで思いを込めてはいないにしろ、冬に親子のキツネが巣穴で生活することが「常ではない」ということを彼がちゃんと知っているからこそこういう物語を紡げるのだ。ゴンぎつねがひとりで暮らしているのも、もちろん南吉の観察眼のなせる設定と考えられる。 単に情に訴えるだけでなく、しずかに、ゆたかな生き物の営みをみつめていた南吉だからこその物語。 他にも蛍、彼岸花、でんでんむし、蝶などなど実に多様な生き物がいきいきと描写されている。「ルナールまがひ」と称された一連の詩の数々も彼の命にむける瞳のやさしさとユーモアがストレートに伝わってくる。29年の生涯、死と向き合う晩年の日々には、ますますその瞳はさえわたっていく。こんなに多くの詩も残しているとは、恥ずかしながら知らなかった。 そんな優れた自然観察者・新美南吉の顔を、覗くことができる展覧会も開催されている。 「帰ってきたごんぎつね」 ~知多の自然と南吉文学~ 11月3日まで 新美南吉記念館 0569-26-4888 ![]() この土手をごんも走った…かも? ブログを時々のぞいてくださる蔵人さんの猫写真の展覧会へ出かけてきた。蔵人さんの猫写真は、風景の中、時間の中、で猫が語る、猫のむこうに透けて見える物語にあれやこれや思いを馳せさせてくれるのが魅力。 蔵人さんは、わたしがブログを始めたころ、神島の猫写真が縁でお互いのブログを覗くようになった。 当時は見知らぬ同士だった蔵人さんがとらえていたのは、私が神島でであったのと同じ猫。 顔も本名も知らない人が、同じ猫たちと出会い、その風景に同じような思いをもってカメラを向けていたということがなんだかとてもうれしくなったのだった。 仕事の合間に、日本全国、猫写の旅にでられているが、飾られている写真の風景もあっというまに様変わりしていく日々。神島の猫も、「今は、すっかり少なくなったようですよ」とのこと。 また、逆にとある島では猫写が盛んになって、「猫の撮影ツアー」なるものも、あったりするらしい。ミス○○撮影会さながら、猫にむらがるカメラマン達。というのも、なんだかちょっといびつな感じがするが…。 仕事がら、私も日本全国に旅をして、いろんな町で猫に出会った。「猫がのんびりくらしている町は人も暮らしやすいんですよ」とおっしゃった人がいたっけ。 いつまでも猫たちが、猫らしく、人と、町と、かかわっていられますように。 そう願わずにはいられなかった。 「猫旅」 蔵人×南幅俊介 二人展 Ban Photo Gallery 春日井市岩成台5-11-7 明日15日まで! 「大相撲角番」!
ともいわれる、何かと話題と課題の多い今年の名古屋場所。今年も行ってまいりました! 高校時代の同級生たちとの観戦は、すっかり夏の恒例行事。 梅雨あけの青空に翻るのぼり。 こんな風にさわやかにいかないものでしょうかね…。 ![]() ニュースでもおなじみのこうした看板が入り口に。 物々しい雰囲気はもちろんありません。 ![]() 中日も翌日に控えた土曜日にでかけたのですが、いつもとかわらぬお客さんの入り。 午後3時ごろには、「満員御礼」の垂れ幕もおりて、会場の熱気は外に負けないほどヒートアップ。 ![]() ちょっぴり寂しかったのは、やはり、「懸賞旗」。 少なかった…。 そんな中、Mのマークが行進すると、会場から拍手が。 なんだかこうしてみると、ゼンマイ仕掛けのかわいいキャラクターにも見えます。 ぜひ、今度は「大相撲バーガー」発売して応援してあげて! ![]() 琴光喜が載った幻の番付表は、午後2時過ぎには売り切れ。 こちらはパンフレット。 連勝記録驀進中。白鵬の強さは桁違いです。 やはり、相撲はライブをオススメ! 35度越えの暑さは、パンフレットのひんやり枕でしのぐ、すみくろ。 「大相撲も、ちゃんと頭を冷してほしいにゃ」 名古屋の松坂屋で三岸節子さんの没後10年の記念展覧会が始まった。
![]() NHKアーカイブスの番組で取り上げさせていただいたご縁もあり、早速初日にうかがう。 お世話になったお孫さんの太郎さんのギャラリートークを拝聴するためでもあった。 フランス・カーニュから日本の大磯での最期まで共に過ごされた身内ならではの視点はユーモアと優しさに溢れている。 太郎さんから絶筆と伺っていた未完の花の画にも会えた。 棺に納められたとき、三岸さんの指にはこの画を描いていたときの黄色い絵の具が残ったままだったのだという。 ![]() 生涯のテーマとした「花」の力強さ。華やかさ。 そして、こんな表現が適切かどうかわからないが、今にも動き出しそうな「風景画」 画の魅力はもちろんだが、 三岸節子さんの随想や日記には、心がざわざわする文章が満載だ。 画の横には、そんな文章がいくつか添えられている。 その一つを引用させていただくと…。 「こんなに一生懸命絵を描いて、さかさになっても何も出ないほど描きに描いて、それが何になるというのだろう。ヴェニスがまとまった仕事になって帰れば、老後がかの大磯で安泰というのだろうか。その安泰というのが、花をつくり、花を愛し、子や孫にとり囲まれて、それが幸福というのだろうか。否、否、否、と心のどこかで叫ぶ。このまま消えて無くなるものなら、それもよいではないか。この底なしの業から救われるというのか。家族近親の面倒を見てそれが満足だというのか。なんて味気ないことだろう」 60代でもなお、こう、叫び、もだえつづけている姿に、背中をぐいぐいおされてしまう。 「もう年」だの「へこたれてる」だの、はずかしくってとても口に出せない。 わたしたちなぞ、なんという甘ったれなのか…と。 描き続けることが「業」だとインタビューで語っていた三岸さん。 「広野の一本の大木のように、何百年も生きつづけた生命力が得たい」 94歳でこの世を去ってからも、その業は画の中で燃え続け、今も見るものに勇気と力を与えてくれる。 穏やかならざるこころを抱えて、会場を後にした。 展覧会は8月1日まで 名古屋の松坂屋美術館にて 長野県大鹿村。
今、分杭峠というパワースポットのある村としてものすごく有名になっちゃいましたが、実はワタクシ村だけなら、5回、分杭峠は3回訪れております。 もちろん「パワースポット」として知って訪れたわけではなく、10数年前、友人たちと恒例ででかけていたキャンプの折、村へ遊びにでかけたのが、最初。 そのあと、情報番組と、旅番組で村を取材し(いい温泉があるんですよ)、料理番組でも取材しました。(おいしいお豆腐があるんですよ) 確かに村役場の方に数年前「実は、すごい気のでているといわれる場所がありまして」と峠に案内をされた記憶がその時頭をよぎったのですが、ロケ中なのでそのままになっていました。 しかし昨年、プライベイトでやはり近くに旅行にでかけたとき、「さ、今日はどこへいこうか」と地図を広げて飛び込んできた「大鹿村」の名前。「すごい峠があったはず」と役場の方の言葉を思い出したのでした。みれば、ちゃんと村の案内地図にも載っているではないですか。 「おもしろそうだから行ってみない?」とでかけたところ、驚いたのなんのって。 小さな谷間に、ずらりと腰をかける人、人、人。冥想している人やら、中には、ワンちゃんづれの方も。 きけば、体が楽になったとか、歩けなかった犬が歩けるようになったとか。何度も通っているという方もいらっしゃるほど。 分杭峠は、中央構造線の上にあって、そのせいで大変いい気がでているゼロ磁場があるといわれているんです。(ちなみに中央構造線上に、伊勢神宮、諏訪大社、高野山、豊川稲荷も存在!) 「分杭峠に行って来たよ~」と友人に知らせたところ、 彼女、「ええ~~~~~!いきたかったの~~~~そこ!」とかなりの食いつきよう。 そんなにすごいところなのかあ。 しかし「ねえねえ。ぴりぴりしなかった?」ときかれても、鈍感なワタシはあまりそんなこともなく…。 確かに緑につつまれて、森林浴しているだけでも体の中にいい「気」がめぐりそう。それだけでも十分、元気とパワーはもらったけど。 なんて思っていたら…。 な、なんと! 先月、ついに3度目の分杭峠体験。 中部地方のパワースポットを巡る旅番組のロケハンです。 分杭峠はもちろん富士山、富士山本宮浅間神社、伊豆の大瀬神社へと足をのばして3日間ぐるりと周りました。 パワーのおかげで取材は「晴れ」! とはいかず(笑)、「雨女」のわたくしにふさわしく、雨の中、青木ヶ原樹海を歩くなんてこともいたしました。 それでも、最後に富士山がちらっと顔を覗かせたのは、やっぱりパワーのおかげかなあ? なんて思っていたら…。 なななんと! すでに先日の日記でも告白したとおり、 ワタクシ、パワーアップどころか、ぎっくり腰になりました! スタッフには「パワースポットに行ったのに?」とバカにされる始末。 すっかりへこんでいたところ、先に登場した「分杭峠いきた~い!」と言っていた友人いわく「いい気が入る前に、悪い気が出るのよ!私の周りにも腰をやった人が3人いる!」と力強い言葉。 さあ、腰が治ったら、パワーがますますアップしますように! まずは放送がうまくいきますように! 手相芸人として大人気の島田秀平さんをナビゲーターに、幸せ熱望!の陣内智則さんと安田美沙子ちゃんが、大人の修学旅行さながらに楽しい旅を届けてくれます!よろしかったらご覧くだされ! http://www.ctv.co.jp/chu_presp/ 「幸せを呼ぶ開運ドライブ!」 5月30日午後3時から 中京テレビ・山梨放送・静岡第一テレビ・テレビ金沢・テレビ新潟・北日本放送・福井放送・テレビ信州(中部ブロックネット)で放送されます。 久々の「初めて」シリーズ。
これだけは、あまり経験したくなかった「初めて」。 何かというと…。 ぎっくり腰です。 先日。ついに生まれて初めてのぎっくり腰を経験いたしました! これだけ肩こりで体が硬いのにもかかわらず、ぎっくり腰も○○肩もしたことがないのが自慢だったのに…(たいした自慢ではないかも) う~。残念ですっ。 しかし、なった場所が、ラッキーでした。 今まさに診察を受けようとする、鍼灸院の待合室。 名前を呼ばれて、立ち上がる、まさにその時。 ぐきっつ!!! となったのであります。 ど~だ。すごいでしょう。 ってこれも自慢できるものではないですね。 ひと月前くらいからヘンだったんです。 体のクセみたいなもので、いつも右側の肩や腰がよく凝るのですが、とくにこのひと月くらいは、かがむと右腰に太くて硬い筋を感じで、そろそろ鍼でほぐしてもらわなくっちゃ。と思っていたところでした。 それに加えて、先月末、取材で富士山の樹海を雨の中、サイズのあわない長靴を(借りものなのでがばがばで)履いて半日歩いたり、その折、丸3日、車にゆられたり…鍼の先生いわく、こういう積み重ねがいけなかったらしいのですが…。 私の診断としては、きっと最後の引き金はわが飼い猫すみくろだと思うのです。 なぜって、その前の夜、座椅子にもたれてついついうたた寝した私。 2時間ほどして目をさますと、黒い物体がひざにどええ~~んと乗っているではありませんか。かなり腰に負担をかけた状態で固まっていたものと思われます。なんたって、4キロ以上ですからね。すみくろの体重。 右側だけのぎっくり腰で、なおかつ即治療していただいたので、よくある悲惨な「う…うごけませ~ん」ということにはなりませんでしたが、 壁につかまり、腰を落としてゆるゆる動く、不自由な生活。 「2~3日は安静に」という先生の言葉もむなしく、新幹線に乗って移動したり、両手に鞄とパソコン持って歩いたりだの、悪いことばっかしてるので、一向によくなりません。 しょうがないわね、と「骨盤バンド」なるものを推薦していただき、薬局で購入、腰にぐいっとはめております。 いや~。なかなかすぐれもの。ちょいと苦しいですが、「ぐきっ」の脅威からは開放されました。 当分不自由な生活と、置き鍼と骨盤バンドの生活は続きそう。 腰が動かないってこんなに大変だとは思いませんでした~。トホホ。 ところで、この話を聞いた友人に「鍼医者でぎっくり腰になるなんてさすが」と妙なところで感心されました。 実は昨年母が倒れまして。その場所がなんと消防署の目の前。その事情を知っているので、 「おたくの母子はなんという危機察知能力を持っているのか。すごい家系かも」と、 真剣に驚いてくれました。 これ…自慢になるかな…。ならないかな…。やっぱり。
先ほどテレビで、「5月だというのに、雪が降ったというニュース」
今年の春は行ったり来たりですね。 ふと、高校時代の友人達と恒例の花見をした、春先のことを思い出しました。 『黒ヒョウに乗って、薄氷(はくひょう)が来た』 ラジオで、Kちゃんが、こんなニュースを聴いたんだそうです。 その日はあまりに寒く、花見は早々に切り上げて、居酒屋に非難。 二度目の盛り上がりをしていたときのことでした。 「ワタシ、ついに変になっちゃったかと思って慌てたらさ」 「え? それは日本の気候が? それともKちゃんが?」 「え~。どっちも」 「うんうん、それで?」 「結局ね… 『黒潮に乗って、初かつをが来た』 の聞き間違えだったの」 「いやだ~。もう耳遠くなったの~?」 「同じ年じゃん。同級生だってば」 「あはははは」 「でもさでもさ。クロネコヤマトの宅急便にスーパー速達便てのがあってさ」 「うんうん、それで?」 「名づけて『黒ヒョウ便』」 「ほほ~ぉ」 「黒ヒョウは速いからね、すぐ溶けそうな『薄氷』も運べるかもしれないよ~」 「いやだ~。おもしろ~い」 「ばかばかし~。」 「割れたらどうするわけ~?」 「『薄氷の上を歩くように』慎重に運ぶから大丈夫」 「あはははは。くだらな~い」 …もうヨッパライなので、何がなんだかごっちゃごちゃ。 結局、ウン十年たっても、これですわ。 箸がころがっても笑っていた セーラー服時代と変わらない。 黒ヒョウが走っても、 氷が厚かろうが薄かろうが、笑えちゃう。 たわいもな~い会話が楽しいのでした。 違いはお酒がそこにあるかどうかだけ。 居酒屋は、あっというまに、あのときの教室に。 いや、お酒が入っているので、くだらなさに拍車がかかっている。 ともいえます…けど…ねえ。 「目には青葉 薄氷詰めた 初かつを」 「あ~。カツオのお刺身~頼も~」
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